僕はとある集落の一室で、目を覚ました。
昔ながらのすりガラスを通し、朝日が目元に差し込んでくる。時刻は06:00だ。僕はここに至った経緯は、前記事(雨の深夜、剣山で絶体絶命…四国ライド①)にて紹介している。そうか、昨日の雨は止んだのか。
この時間だ、あの老夫婦と男性は起きているだろうか?
僕は二階の一室で、ひっそりと耳をすませた。ガタゴトと生活音がする。どうやらとっくに朝は始まっていたようだ。軋む急な階段を降りで、居間に向かう。
僕「おはようございます」
まずは、今で朝食の準備をしていた老夫婦に挨拶をする。昨日は勢いでご厚意にあやかって泊ってしまったけど、ここに来て申し訳なさが一気に湧いて出た。
僕「昨晩は本当にありがとうございました。おかげさまで、今日も走れそうです」
爺「おお、元気みたいで良かった。昨日は生きた顔をしなんかったからのう」
何弁なのか分からないが、独特な言い回しでお爺さんが答えた。僕の記憶が正しければ、こんな感じの言い回しだった。
婆「あの子は仕事に行っとるけ~気使わんでええよ。こんな老人2人しかおらん。ゆっくり朝ご飯食べてき」
僕「いえいえそんな。朝ご飯までありがとうございます。ありがたく頂きます」
どうやら既に、昨晩僕を車に乗せてくれた小父さんは仕事に出てしまったようだ。なんてこった、最後にお礼を言えなかった。連絡先を聞いておかなくては。
朝ご飯には、家の周りで拾ったという栗ご飯に、食パンのトーストにはちみつのセットを頂いた。お腹いっぱいなのに、最後には肉まんまで。(笑)聞けばこのはちみつは、近所の養蜂家から貰ったという。どおりで風味が違うわけだ。
迷惑ならすぐに出発しようと思っていたけれど、どうやらその逆の様だった。朝食をとりながら、老夫婦はここでの生活を語りだした。
婆「そういえばな、この前もまたこの部落の農家がシカにやられてな。この間柵立てたっちゅう家も今度はサルにやられてん」
爺「シカはまだええけど、サルは手ごわい。ずるがしこいから凌げんのよ」
婆「うちも農家の端くれやけど、本業にしとるわけじゃないからまだいいけどな。それで生活しとったらもう大変でな」
婆「作った分の半分は動物にやられてしまう。うちら人間が食う分は、残ったもんだけや」
僕はちょうどいい話相手のようだった。それはそれでいい。話を聞くことが、僕の出来る恩返しになるのなら。
それに、明らかに僕が初めて触れる世界だった。同じ日本に暮らしていても、こんな暮らしをしている人がいるのは衝撃だった。
爺「ここに来るまでも、空き家が多かったやろ?」
僕「ええ、人気のない街も多かったです」
婆「ここいらの部落も半分は空き家なんよ。こんな山奥に住む若者なんてまずいなんから、うちの息子が40超えてもここいらの最年少よ」
僕「そうなんですか…。」
婆「それでもな、古民家再生をして移住しようっていう人はたまにいるんよ。うちらの憩いの場を空き家を改修して作ってくれた○○さんって人もいよる」
婆「うちらは新しい風が吹くのはいいことやから歓迎なんやけど、それを嫌う人も多くてな?」
爺「わしらはこうやって、貴方の大学の話や旅の話を聞いて楽しいし面白いと思う。こんな若者が横浜から来て、偶然出会えたのを嬉しく思う。けどな、それが面白くない人も田舎には多いんよ」
夜中の山道で、ずぶ濡れの見知らぬ若者を家に泊めてくれる家系の考えだった。
変化を受け入れ楽しめる人と、そうでない人。いろんな土地を走ってきて、いろんな「田舎の人」を見てきた。だけど、どこに行っても人間は二種類だ。前者は未来を見ていて、後者は過去にすがっている。孫の成長や明日の予定を楽しそうに話す人と、昨日行った店の店員への文句を垂れる人。
話を聞いていると、古民家再生事業は予想以上にアプローチをしているようだった。地産の特産品を使った製品を開発し、マルシェで販売し、地元に還元する。そのモデルは出来上がっていた。現状をいい方向に変えようという人は少なからずいるのだ。
しかし、人の感情というのは、簡単には動かないものなのだ。地方の抱える問題を、垣間見た瞬間だった。
ふと台所の隅に目をやると、気になるものがあった。
大きなペットボトルの中に、何やら蛇のようなものが入っている。しかも見たところ、そのシルエットと模様は猛毒のマムシである。
僕「すみません、そこにある蛇のペットボトルはなんですか?」
婆「あれか。家の前で捕まえたマムシよ」
婆「ふもとの部落にマムシ酒を作ってる場所があってな。そこでマムシを買い取ってくれるんよ。結構いい値段で買い取ってもらえるから、生活の足しにな」
爺「わしらは近所で作った野菜やらを交換しあってるからな、現金はいらんのよ。月に一回、山を下りて日用品を買うお金さえあれば、十分生きていける」
近くで見せてもらうと、そのマムシたちは生きていた。水の入ったボトルに入れておけば、1か月くらいは生きているのだという。猛毒のマムシを、生け捕りにして生活の足しにしている老夫婦。
こんな山奥だ、助けはすぐには来ない。噛まれたら一発で死ぬリスクが、その一匹の数千円と釣り合うのだろうか?その金額は、僕がバイトで3時間働けば稼げる額だった。
だけど、そうか。そうやって少しの現金を確保できれば、生きていけるのか。そんな生き方があるなんて、僕は今の今まで知らなかった。
爺「わしらにはあの息子の他に、娘がおってな。神戸で暮らしとるんだが、晩婚でやっと初孫が生まれたんよ。もう嬉しくて嬉しくてのう」
婆「何年後になるか分からんけど、こっちに娘が帰省してくれるのが楽しみでな。孫を連れて裏手の神社にお参りするのが夢なんよ。それまでは死に切れんなんて、爺さんと話しててん」
孫の誕生の瞬間を思い出したのだろうか、その話をする二人の目は涙ぐんでいた。
命をつなぐその感覚は、僕はまだ知らない。だけど、目の前の老夫婦のように、孫の誕生を心から喜べる人でありたいなと、僕は思った。
それからも、いろいろな話をした。
近くに住む老人が、林業を営む中熱中症で倒れ、帰らぬ人となったこと。隣の集落のおばあさんが、自分の農園のブランド商品を作って、年収1000万円を超えたこと。新聞配達が間に合わなくなって、数日に一度しかニュースがないこと。
限界集落の生々しい生活が、そこにはあった。一晩とはいえ、生活を共にし、そのリアルを感じた。
僕が泊めていただいたあの集落は、紛れもなく限界集落だった。
集落の中に空き家は多いし、見たところ住人の平均年齢は70歳近い。この村が消滅するのも、時間の問題であることは明白だった。
だけど、そこに暮らす人々は全く不幸な様にも見えないし、他の地域と同じように二種類の人間が存在していて、未来のために奮闘している人もいた。キャッシュレスな物々交換で成り立っている、ローカルなコミュニティがあった。
そんな生活も、同じ日本に存在するのだった。
時刻も昼を過ぎ、老夫婦の話も二巡した。暗くなるまでここに居る訳にはいかない。僕は、明るいうちにこの山中を脱出しなくてはならない。
穴だらけのチューブを乾かし、パナレーサーのイージーパッチで穴をふさいでいく。持ってきたパッチのほとんどを消費して、やっとすべての穴をふさぐことが出来た。
老夫婦に重ねてお礼を言い、連絡先を聞いて別れた。今夜にでも、あのおじさんにお礼を言おう。ルートも行程も狂いまくってしまったが、それ以上の経験を僕はした。実際に体験してみて、初めてわかる感覚やリアルがある。
出発は遅れてしまったけど、今日は高知まで行きたいな。せいぜい150kmくらいだから、夜には着くだろう。
さあ出発だ。この先の四国ツーリング、ただでは終わりそうもない。この先、僕には何が待ち受けているのだろう?
つづく