ツーリング記

雨の剣山で絶体絶命…限界集落のご家族に助けられた夜ー四国ライド①

2017年夏。かねてより楽しみにしていた四国ライドを行った。

四国に行くのは今回が2度目。前回は高松市街を走っただけだったから、四国全体を走るのは初めてだ。

 

行きたい場所はたくさんあった。

はじめは単純に沿岸部を一周しようかと思っていたけど、それでは走りたい場所を走れないから、四国中央の山間部を突き抜けるコースを選択した。

日程は6日半。

初日は夜に出発し、1日半で横浜から神戸に走る。そこからフェリーで高松へ渡り、その後剣山~高知~四万十~四国カルスト~松山~松山観光~しまなみ海道~尾道の予定。最初は飛ばすが、それ以降は150㎞/日のペースだ。

 

装備はこんな感じ。

 

バイク:Specialized Roubaix SL4 Disc

フロントバック:モンベル フロントバック

⇒補給食、財布、スマホ、ごみ入れ

フレームバック:ブラックバーン アウトポストフレームバックM

⇒ドリンク、レインウエア、バッテリー等

サドルバック:オルトリーブL ストレート

⇒替えのインナー、防寒着、タオル、シュラフカバー等

モンベルのU.L.ドームシェルターを買う前だったから、テントもシュラフも持たず、シュラフカバーのみでその辺のベンチで寝る作戦である。これぞ本物の野宿。(笑)

*野宿スタイルの走り方や使用した装備については、この記事(【野宿ロングライド】ホテル代が払えず、テント・寝袋も買えない、貧乏学生の野宿術と装備)にまとめてある。

 

*** *** * *** ***

 

出発~神戸はいつも走っているコースなので、ここでは省略。

神戸に着いたのは深夜01:00ごろだったろうか。神戸~高松間の通称「うどんフェリー」に乗り込み、高松の地には日の出過ぎに降り立った。さて、いよいよ四国ライドの始まりだ!

四国1日目の予定は、高松~剣山~大豊町~高知だった。距離にして約200km。

単純に200km走るだけならなんてことはないが、高松市街を抜けるとゴールの高知までコンビニが全くないという、無補給ライドとなると話は別だ。夏季の200kmで失われる4000kcalと4Lの水分を、何とか積載していかなくてはならない。幸い、途中自販機があるという情報を入手したため、高松を出るときに必要な水分量は2Lとなった。

高松でこの先補給が出来ないとなれば、することは一つ。そう、うどんをひたすら食べるのだ。(笑)

流石はうどん県だけあって、早朝から様々なうどん屋が店を空けている。「並」を頼んでも本州の「大」くらいはゆうに出てくる。それで1杯200円程度なんだから最高だ。もちろんあのコシのきいた讃岐うどんで、麺はしっかりと食べ応えがある。

3件目からはもうお腹がパンパンになったが、今食べなければ後で死ぬと思い、無心で胃袋に詰め込んだ。

そこからさらに、補給食の買い出し。パンやおにぎりを大量に買い込み、ハンドルバーバックに詰め込む。水はボトル1本、フレームバックに1本、ジャージのバックポケットに600mlのペットボトルが3本入っている。これで何とか行けるはず。

 

天気は下り坂だった。

スマホの天気予報は完全に雨マークだったし、西の空にはどんよりとした雲。完全に降る気配。それでも、当初の予定通り走ることにした。雨がなんだ、それはそれで、楽しいじゃないか?

霧がかった四国の山々は、僕をその奥地へと誘った。

程なくして雨粒が落ちてきた。

パラパラと、雨がレインウエアを打つ音がする。その音が聞こえるくらい、静かだという事だ。昼間だというのに、人の気配はない。まあ、コンビニンもない道なのだから、当然か…。

噂に違わず、どんどんと森が濃くなっていく。つづら折りを越えていくたび、ごつごつとした岩肌に囲まれた道が真の前に現れた。雨のせいか、時折道をたきが横切った。

岩山を切り開いて作った道。

いたるところにお地蔵さんがある。こんな道なのに、綺麗な赤い涎掛けが巻かれているのに驚いた。

お地蔵さんは「人々を苦しみから救う」という仏教的思想からきているものだ。そこに込められた思いは様々。きっとここにあるお地蔵さんは、道の辻を守る「道祖神」の類だろう。

実際に走ってみると分かる。ここの崖が崩れて道がふさがったら、間違いなくこの先は陸の孤島になる。

既にガスで道の先は見えないが、対照的に僕の心は晴れやかだった。

辺りの岩肌に生い茂るシダ植物から、雨水がぽたぽたと滴り絶妙なリズムを刻んでいる。先の見えない長いヒルクライム。僕はその心地よいリズムに身を任せ、軽やかにダンシングをしていった。

所々に、集落の跡があった。

それらは正に「跡」というにふさわしいもので、深い緑に飲み込まれつつあるものだった。

こんな光景、僕は見るのは初めてだった。ただの空き家ならたくさんあるが、そのなれの果てがここにある。こうして少しづつ、人の痕跡は消え去っていくのだろう。

翌朝撮影。朽ちていく家屋跡。

じわじわと標高を上げていき、ついには山頂にたどり着いた。

ちょっとした観光地になっているみたいだけど、平日のこの時間に来ている人は誰もいなかった。というかここまで、すれ違ったり見かけた人は2人だけ。霧がだんだんと雨に変わっていき、水滴でもはやスマホの操作が出来なくなっていった。

 

山頂にいても仕方ないので、さっさとダウンヒル。

雨と汗でぐっしょり濡れた身体が、下りの風で冷えていく。この雨のダウンヒルの寒さだけは、慣れることがない気がする。そのくらい、心底凍えて、心が折れそうになる。

こんなときはそう、お腹の下に力を入れるんだ。大丈夫、大丈夫…。

 

登りでもそうだったが、道はお世辞にもよいとはいえないものだった。

アスファルトは穴や割ればかりだし、落ち葉や枝が散乱している。ウェットだから特に危ない。こんなとき、油圧ディスクブレーキは心強い見方になる。

岩々のスケール感に圧倒される

実はダウンヒルに入るとき、道が二股に分かれていた。

徳島側への下りと、高知側への下り。僕が選択するのは後者…のはずだった。しかし霧のせいか、僕は予定とは逆の徳島川に下りていたらしい。

 

標高で700mほど下ったところでだろうか、鈍感な僕でもさすがに気がついた。

『地図で覚えた地形と違う。』

霧に覆われていたから視界が利かなかったが、尾根沿いに降りるはずが、明らかに沢地形を降りていた。

雨だというのにエメラルドグリーンが美しい

止まって道を確認しようとしたところで、なんと前輪がパンク。貫通系のパンクで、一瞬にして空気が抜けてしまった。

ウェットな悪路の下りでこれは危険。こんな時に、なんてこった。

 

幸いにも、近くにバス停があった。いつもの田舎特有の、屋根つき優良物件だ。迷わず駆け込む。

タイヤの状態を確認すると、後輪からも空気が泡になって漏れていた。これは駄目だ、前後輪が逝ってしまった。

持ってきている装備は、イージーパッチ5枚と変えのチューブ1本。補給食をもってくるため、予備のチューブは1本にとどめていた。ああ、よりによってこんなときに。

 

ひとまず修理に取り掛かるるが、ここで事態の深刻さにようやく気付く。

まず一番の問題として、チューブを完全に乾かさないとイージーパッチがくっつかない。

次の問題は、チューブを乾かす手立てを持っていないこと。手は雨でふやけていたし、乾いたウエアもタオルも、何も持っていなかった。外は7mmの雨、とても乾くような状況じゃない。

雨がしのげるベンチで横になって休憩

そこで、夜まで仮眠し雨がやむのを待つことにした。

パンクを修理できないことには始まらないから、まずはチューブを乾かさなくてはならない。天気予報では、20:00には雨が落ち着くはずだ。

バスの時刻表で、バスがもう来ないことを確認した。よし、これで心置きなくここで休める。持ってきたシュラフカバーに包まり、ベンチで目を閉じた。

*** *** * *** ***

夜になった。

時刻は21:00を過ぎている。しかし、天気予報に反し雨は一向にやむ気配がない。本来なら雨が止むまでここに居たいが、補給食もなくなりつつあるしいい加減ここにいるのにも飽きた。

VOLT400の明かりを頼りに確認すると、チューブはある程度乾いてくれている様子。よし、さっさと穴をふさいで出発しよう。前輪は新品のチューブに交換し、後輪のチューブにはイージーパッチを貼付けタイヤに戻した。

 

ルートミスとパンクによって、走行計画は大幅に狂ってしまった。

道を引き返せば計画ルートに復帰できるけど、それでは明らかに補給が持たない。本来とは逆側の徳島側に降りてきているから、700m登った後に山道を無補給で100km走らなくてはならない。それは無理。

そもそも現在位置が最寄りの補給可能な街まで40㎞離れているから、まずはそこを目指すのが妥当。徳島方面へと山道を更に下っていった。

 

しかし、走り出して10kmほどしたところで、またしてもパンク…。

当然まだ山道で、雨も降り続く夜。街灯なんてある訳もなく、ひたすら闇があるだけだった。街まで40km、一番近い休憩ポイントはさっきまでいた10km手前のバス停。

ダメもとでパッチを張り付けてみたけど、やはりくっつく気配はない。水気を取ろうにも、自分も周りもびしょ濡れだからどうしようもない。つまり、現状修理不可。

『終わった…』

状況は絶望的。

ここまで1台も車とすれ違わなかったし、時間も深夜に近い。となれば、おそらく誰かの助けは期待できない。スマホも画面びしょ濡れで操作不能だから、助けも呼べない。

 

しばし途方に暮れ、道路に立ち尽くした。ザーザーという雨音と、パラパラというレインウエアを雨が打つ音だけが、無限に鳴り響くようだ。

はあ、ここにいても仕方ないか。持っている補給では足りそうにないが、まあ死にはしないだろう。幸い30km程度なら何度か歩いたことがあるから検討はつく。はあ、街まで歩くか…。

僕は夜道をトボトボと歩き出した。

 

*** *** * *** ***

 

しばらく歩いた時、僕は不意にエンジン音を聞いた。

雨の音に紛れてはいるが、間違いなく車の類の音である。どうやらこちらに近づいてくるみたいだ!

僕はVOLT800と400を明るさMAXにして両手に持ち、思い切り振った。どうなるかなんてか分からなかったけど、現状助けてもらうほかない。

「すみませーん!」

その車は、僕の呼びかけに恐る恐る停車した。

ドライバーは中年の男性だった。運転席の窓が開き、中からは怪訝な目が覗いていた。これはまずったか。

ダメもとで、僕は状況を説明しお願いしてみた。四国を自転車で巡っている事、自転車を直さないと走れない事、水と食料が足りない事、自分だけでも街まで送ってほしいこと…。

しばらくの沈黙の後、男性はため息とともに答えた。

男性「…しょうがないけえ、乗んな。」

なんとか、OKして頂けた。

「すみません。本当にありがとうございます…。」

男性「気にすんな。街まで送るのは面倒だから、今夜うちに泊まるんでいいか?

「え、いいんですか!?」

男性「空いてる部屋あっからそこに寝な。おれの親父とお袋もいるけど気にすんなよ。」

男性「そんなずぶ濡れじゃあ寒いだろ。うちでシャワー浴びて服乾かせばいいさ。」

「え、そんなことまで?流石にそれは…」

男性まあ困ったときはお互い様って昔から言うからな。お礼は別にいいから、お前も他の誰かを助けてやれよ。」

そんな…ありがとうございます…!

これは駄目かと思ったけど、どうやら何とか助かったようだ。しかも今夜は雨の吹き込むベンチじゃなく、家の中で寝られるらしい。なんてありがたいことなんだ。

 

その男性のご自宅は、剣山近くの集落にあった。

集落といっても、数件の家が立ち並ぶのみで、その中には空き家も多い。一帯で、その男性は唯一の若い人材らしかった。

僕は男性のご両親の老夫婦に暖かく迎えられた。シャワーに着替え、暖かいご飯と布団まで用意して下さった。見ず知らずの僕を、こんなにももてなし受け入れてくれるなんて。その優しさに、胸がいっぱいになった。

 

そこで、僕は老夫婦から限界集落のリアルを聞き感じるのだった…。

その話は次回の記事で紹介します。

つづく

次の記事(↓)

 

その時僕は、感謝と安堵で心がいっぱいになり、それ以外何も浮かんでこなかった。

しかしこの記事を書いている今になっては、もちろん感謝の気持ちに尽きるが、装備と計画が不十分だった自分が恥ずかしい。それまで1万キロ近くパンクしてこなかったし、信頼のおけるコンチネンタルGP4000SⅡを過信していた。それに雨で濡れてパンクが直せなくなるなんて想定していなかった。かつかつの補給食で無補給地帯に乗り込んだのはもってのほかだ。

やってしまったミスは変えられないが、今後に生かすことは出来る。装備や計画について、もっと安全マージンを取っておくこと、様々な状況を想定しておくこと。僕が気を付けるのはもちろんのこと、この記事を読んでくださった方も、出発前には今一度装備や計画を確認してみてください。

僕のこのミスが、一人でも多くの方の参考になれば幸いです。

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