顔に水滴が滴り、目を覚ました。
(ん?俺ってテントで寝たはずだよな?
寝ぼけた目で辺りを確認。うん、間違いない。僕はテントの中で寝ていて、そのテントの中に雨が降っている。
何を言っているか分からないかもしれないが、起こったことをそのまま話すとこうなる。透湿性のかけらもない非防水素材のテントが雨に打たれると、テント内にも雨が降るのだ。
(マジかよ…最悪。
このままテントの中で雨に打たれても仕方ないので、さっさとテントを撤収した。テントに付着した草や落ち葉、泥で服や手が汚れる。
(ああ、俺はなんでこんなことしているんだろう?
とりあえず近くのスーパーに移動して、朝食をとる。開店とほぼ同時に行ったので、テナントのパン屋のパンが焼き立てだった。これを食べない手はない。雨に起こされた僕らへのご褒美だ。嬉しいことに店内に食事コーナーと無料コーヒーが用意されている。もう最高の朝ご飯。
最悪の目覚めをかき消すように、値段を見ずに目に付いたパンをトレーに乗せていく。カレーパン、ガーリックフランス、クルミパン、チョコブレッド…。
T「お前そんな食うの?w」
僕「いいんだよ食えなくても。どうせ走ってれば腹減るし」
そう、食べきれなくてもいい。道中の補給食にすればいいんだから。そう言い聞かせてパンを大人買いした。
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雨が止まないかと食事コーナーで様子を見ていたが、どうやら今日はダメらしい。スマホの天気予報も、一日中雨マークだ。諦めて先へと進むことにした。
悪い天気予報程よく当たる。走り出してからもずっと、相変わらずの雨模様。
『雨が降ったらシャワー替わりに打たれればいいんじゃね?w』
なんて言っていた自分が恨めしい。持っているのも半袖短パンだけ…。というか、パンツまで浸水すると寒すぎてマジで死にそうだ。道路わきの電光掲示板の表示は20℃。あれ?いまって夏だよね…?
分厚い雲が空を覆っているせいで、太陽の光は完全に遮られている。スピードの出ない僕らの横を、車たちが容赦なく抜いていき、その泥しぶきが脚を汚した。
腕はずっと鳥肌が立っているし、体は絶えずガクガク震えている。多分、これは本当にだめなやつだ。
僕「なあT…走ると風で寒くて死にそうだから、なんか着るもの買おう…」
T「おう、俺も死にそう。リアルに低体温になる…」
堪らず僕らは、近くに見つけたホームセンターに駆け込んだ。ここならカッパが売っているはず。
*** *** * *** ***
無事2,000円のカッパを見つけ、それで何とか寒さをしのぐことが出来そうだった。着替えの類はもうないが、それでもカッパの温かさは格別だった。
しかし、いざ再出発というところで、Tがなにやらクランクのあたりを気にしている。
僕「ん?どうした?」
T「いや、さっきからギアがアウターに上がらんのよね。」
僕「マジか。直せんじゃね?調べてみようぜ」
ホームセンターのだだっ広い軒下をお借りして、スマホで検索しFDの調整方法を調べまくった。自転車に関してはまったくの素人2人、何が原因かなんて検討もつかない。それでも、いったんバラして、調整方法のとおりに組み付ければまた使えるようになるだろうと思った。近くに自転車屋もなかったし、自分たちで何とかしてやりたかった。
…今思えば、たぶんワイヤーの初期伸びだから、アジャストボルトを左にちょっと回せば事足りたはず。ものの3秒で終わる微調整。
でも僕らは、泥とオイルで真っ黒になった自転車をひたすらいじり倒した。まずは緩められそうなねじやワイヤーをすべて緩め、それからスマホを片手にひとつずつ組み付け開始。素人整備が1度で上手くいく訳なくて、またバラしては組み付けを繰り返す。とっくに両手は真っ黒だ。
数時間苦戦して、やっと完成。Tのバイクが所謂『ルック車』で、訳の分からない規格を使っていたのも影響し、不慣れで終わりの見えない作業に心身ともに疲れ果てた。
(寒いし汚れるし進まないし、最悪な日だな。
かなり時間を使ってしまったから、今日はいいとこ福島までだろうか。今日という一日を無駄にした感覚が、その疲れを際立たせた。
*** *** * *** ***
予想通り福島市街に入るころ、ちょうど日が落ちる時間になってきた。雨の日は暗くなるのも早い。ポツポツとカッパに当たる雨音がもはや当たり前になり、濡れているという事を忘れているほどだった。
国道4号沿いに立ち並ぶ飲食店を見やりながら、何を食べるか相談した。選択肢が多すぎると、人間は選べなくなるものだ。
決めきれずに福島駅を通り過ぎ、幸楽園に入店。冷たく疲れた体に、温かいラーメンが染み渡る。注文したのは頑張った僕へのご褒美、ラーメン大盛りに餃子とチャーハンセットだ。おなかがいっぱいになれば、また頑張れる。そう思ってとにかく食べた。
*** *** * *** ***
ダラダラした後に寝床に移動しテントを設営。昨日の反省を生かして、今日は屋根のある寝床にした。あたりは真っ暗だから、自転車のライトを咥えながら準備した。
(あぁもう疲れた、寝よう。
Tから、言葉にならない声が見て取れる。きっと僕もそうだったのだろう。
その時だった。
?「あんちゃん達、自転車旅?どっから来たの?」
(うわ、絡まれるか?寝たかったんだが…
T「はい、横浜を出発して函館まで行く予定です」
いつもどおりTが答える。前から思っていたけど、疲れてもちゃんと答えるこいつのコミュ力は凄い。そこに立っていたのは、所謂『田舎の小父(おじ)さん』で、大型犬2頭を散歩していた。なんとなく悪い人ではなさそうだ。
僕「今日が3日目です」
小父「そうか、今日は雨だったし大変だったろ」
小父「うち近くだから寄ってけよ。飯出してやるよ」
T「本当ですか!?」
小父「おう、うちカフェやってるから、なんか作ってやる」
小父「腹は減ってるだろ?」
T僕「はい!!」
この大嘘つきが。さっきラーメン大盛り餃子チャーハンセットを食べていただろうが。
小父「よし。準備終わってそうだしすぐ来れるな?」
T「はい、大丈夫です!」
こうして、なぜか知らないおじさんの家へ夕飯をご馳走になりに向かう僕らであった。お腹はいっぱいだったのに。笑
だけど、こんな機会、おなかがいっぱいなくらいで逃すもんか。
*** *** * *** ***
小雨になった夜道を、小父さんと犬の後を追いかけ歩いていく。
小父「昔はこのあたりも自転車旅してる奴らがたくさん泊まってたんだがな。最近はぜんぜん見なくなった」
T「へえ~、そうなんですね!」
小父「うん、俺も若いころに自転車で日本を旅してな」
小父「なんかお前らが懐かしかったんだよ」
僕「え、そうだったんですか!?」
小父「旅人なんてそんなもんよ。さ、着いたぞ」
案内されたのはこじんまりとした個人経営のカフェ。閉店時間を過ぎているようで、今は一緒にカフェを営んでいる奥さんしかいないようだった。
小父「おーい、横浜から自転車旅している奴ら連れてきたぞー」
小父「腹減ってるみたいだから、何か飯出してやれ」
奥「あらそう。今作るから待っててね」
こんなにも敷居がない家は初めてだったから、僕らはあっけにとられていた。
小父「ほらほら、遠慮しないで座れって」
僕「あっ、はい!失礼します」
見ず知らずの僕らを、こんなにも招きいれていいのだろうか?
小父「ビールはいけるだろう?つまみ出すから待ってろよ」
次から次へとご飯が出てきて、されるがままにもてなしを受けた。こういう時には旅路を語るのが定石なのか?僕らはたったの3日だけど、旅に出たいきさつや、これまでの苦しかった道のりを話した。
頂いたご飯が、泣くほどおいしかったことは言うまでもない。というか、はじめてご飯で泣いた。
うんうんそれは大変だったなと、小父さんはやさしく話を聞いてくれた。これからも頑張れよと。聞けば、その小父さんは日本で自転車旅をしたのち、海外も旅したそう。今ではカフェの経営と、NPO法人を立ち上げて自然保護活動しているようだった。
それが僕には、さらに衝撃だった。そんな生き方の人に初めて会ったし、それがテレビやネット上の世界じゃなかったんだと実感した。
小父「じゃあ最後に福島の桃食ってけよ。知り合いの農家からもらってるから、うまいぞ?」
T「ありがとうございます!」
おじさんから渡されたのは、真っ赤な桃だった。まずはその色の濃さが、僕らの知っている桃とは違った。
(あれ?桃ってどうやって食べるんだっけ?
(とりあえず皮をむいて食べるんだよな?
困惑しつつも、皮をむこうとした僕らに小父さんが言った
小父「福島の桃は皮むかずに食うんだよ。洗ってあるからそのまま食ってみな?」
T僕「っえ?? あ、はい…」
T僕「………!!!」
甘い。普通の桃とは思えない糖度の高い果汁が、かぶりついた瞬間口いっぱいに広がった。かぶりついて初めて気づいたが、この桃、かなり柔らかい。皮も薄くて特に気にならない。
無言のまま二口目。ダメだこれ、美味い。夢中でじゅるじゅると桃の果汁をすすりながら頬張った。僕らのあまりの気に入りように、お土産として4つプレゼントしてくれたほどだった。
旅補正も効いているけど、あれほど美味しい桃を、僕は食べたことがない。なんていう品種か聞いたのに、テントで寝る時には忘れていたのは旅クオリティ。メモをとるなんて発想は、もはや僕らにはなかった。
*** *** * *** ***
(…なんていい夜なのだろう?
寝起きから雨に打たれ、寒さに凍え、メカトラブルに悩まされ、たったの30kmしか進めなかった今夜にだ。まさかこんなプレゼントが待っているなんて思ってもいなかった。旅とは、こういうものなのだろうか。
翌朝も朝ご飯を頂けることになり、気分上々で眠りについた。明日の天気は晴予報だ。
つづく