いつもの時間に、携帯の目覚ましが鳴った。
しかし昨日の雨と坂で完全に疲弊していた僕らは、それで起きることはない。もはや寝られる限り寝ていたかった。どうせあと数時間したらテント内が暑くなりすぎて、とても寝られた環境じゃなくなるんだ。だったら少しくらい二度寝したっていいだろう?
旅に出る前ーといってもたかが1週間前のことだが、「毎日200kmは余裕じゃね?」なんて抜かしていた自分が恥ずかしい。だけど、いいんだ。毎日少しずつでも進んでいるという事が大事なんだ。僕らはそれを今、学んでいる。
微睡みの中で、徐々にテント内が蒸し暑くなってきた。
昨日の雨が嘘のような晴天だ。これは嬉しい、濡れたテントや装備を日向に並べて乾かせる。そしてなにより、乾かすという口実を得た僕らはお菓子を食べながらダラダラできた。これは素晴らしいことだ。(笑)
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一通り装備を乾かすと、次の町ー宮古を目指して走り出した。
宮古までは約60kmの道のりで、相変わらずの延々と続く峠道。それでも頭上で輝く太陽と青い空が、僕らに元気を与えてくれた。というか、昨日が辛すぎたのかもしれない。それを経験していると、昨日よりは楽な道じゃないかと気楽に走ることが出来るものだ。
夏の陽気が、僕らの心を穏やかにしていく。幾度となく現れる坂を、ゆっくりゆっくり、越えていく。
ああ、セミの鳴き声がする。夏はこうでなくちゃ。
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太陽がみるみる高くなり、時刻はお昼時。
ここに来てやっと気づいたことだけど、僕らはその土地の食べ物をあまり食べてこなかった。毎日先を見続けていたから、そんな大事なことに全く気が付いていななったのだ。
丁度いいところに、崖の上に立つ料亭がある。地元の魚介を使った料理が売りの店のようだ。ちょっと値は張りそうだけど、今日くらいいいだろう。僕らはその年季の入った暖簾をくぐった。
2人揃って注文したのはイカ飯定食。イカ飯とは、イカの胴に出汁のきいた炊き込みご飯が詰まった料理だ。なんだかそういう料理に夢を感じてしまうのは、きっと僕が子供だからだろう。(笑) そして定食だから、ちょっとした魚介の付け合わせやつみれ汁までついてくる。
メインのイカ飯が美味しかったのはもちろんのこと、僕の中でのヒットはつみれ汁だった。あの小魚のうまみが詰まった出汁の味に、思わず「あぁ~…」とため息が漏れる。この旨味である。日本人に生まれてよかった。
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美味しい料理で腹を満たした後は、崖下の海に降りて行って磯遊びだ。
いいさ、そういう日もある。今日はとことん遊んでやろう。Tもそんな雰囲気だ。
昨日の時化が残っているのか、波は高く荒れていた。
(これはとても入れる状態じゃあないな。
本当は海にでも入ろうかと思って海岸に降りたんだけど、その望みは叶わずじまい。その代わりに潮だまりが点在していて、ハゼの稚魚やヤドカリ、イソギンチャク等、磯の生き物で満ちていた。まあこんな場所、だれも来ないもんね(笑)
僕はその生き物たちに夢中になった。水深数十cmの潮だまりといっても、素手で魚を捕まえるのは至難の業。いつもあと少しのところで逃げられてしまう、そのギリギリ感が癖になる。
カンカン照りの太陽に、青い空と海。少年の頃そのままの僕の姿が、きっとそこにはあったと思う。あの時Tは何をしていたんだろう?海を眺めて、ぼーっとしていたのかな?
1週間以上片時も離れず寝起きを共にすると、いい意味で話すことも気を遣うことも無くなっていく。その微妙な距離感と、こういう一人の時間が必要なんだと思う。
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完全な休養日となった今日は、最低目標、というか通過点と考えていた宮古で終了となった。
駅前の王将で夕ご飯を食べて、コインランドリーへ。真っ暗な田舎道に煌々と輝く24時間営業のコインランドリー。パニアバックの中で汗と日光で発酵しつつある洗濯物をいい匂いに戻して、今日は就寝だ。
僕の服が乾くのが遅かったから、Tが先にテントに戻り僕がランドリーに残った。田舎の明かりにはそれは大量の虫が群がるので、ドアがある室内にもたくさんの虫が飛び交っている。
僕は、その虫たちを何気なく眺めていた。と、一匹の蠅が天井の隅にある蜘蛛の巣に引っかかった。激しくもがく蠅。しかし蜘蛛の糸はもがけばもがくほどに蠅の体に絡まっていき、ついには身動きが取れなくなっていく。
(巣の主はどこへ行ったのだろう?
蠅が息絶えたように見えてしばらくしても、蜘蛛が現れることはなかった。
(あの蠅の死は無残だな。
コインランドリーの隅のパイプ椅子に腰かけながら、今にも閉じそうな目で蜘蛛の巣を眺めつつ、そんなことを思ったりした。なんだか今夜は、そのまま起きていたい気がした。
しかし明日もあるから、寝なくては。分厚い服も乾き、テントに戻る。Tは既に寝ていたが、丁寧に僕の分のマットとシュラフが敷いてあった。全くこいつは。
(…T、いつもありがとう。
心の中でお礼を言い、明日に備えて眠りについた。
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翌日。旅を始めて9日目。
今日も天気は快晴で、昨日しっかり休んだおかげで体の調子もなかなか良い。これは気持ちよく走れそうだ。
残りの日数を考えて、僕らの最終目的地は函館に決まった(仙台の時点では密かに札幌入りも企んでいた)。ここ宮古からは海沿いを走って久慈に入り、そこから青森県に突入、八戸⇁十和田⇁青森⇁函館だ。青森~函館間はフェリーを使うから、長距離を走るのは実質青森までの280km。ようやく残り300kmを切り、ゴールが見えてきた。
宮古~久慈の道のりは、予想以上に山道となった。海の近くを走っているはずなのに、海が見えるところは少ない。ひたすら木々の合間を縫って走っていった。ただ今日のような快晴の日には、時折木陰で休憩できる道が嬉しい。それに、代わり映えしない海岸にも少し飽きが来ているところだった。
宮古以北は本当に「田舎道」といった具合で、車の通りも殆どなかった。僕らだけで道を独占しているようで、本当に心地が良い。木々の香りと、時折匂う牧場の家畜の臭いを全身に浴びながら、また一つずつ峠を越えていった。
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1つ大きな峠があって、やっとピークに来た。標高はさほど高くないが、この気持ち良さは格別だ。ヒルクライムをしたことがある方なら分かって頂けると思う。
例によって、機材の差でTより僕の方が登りが早いから、僕は頂上でTを待った。
こんな田舎道、通る人なんてまあいない。その気持ちよさと解放感に、思わず僕は道路に横たわった。
風にそよぐ木の葉。真っ青な空に切り取られたその黄緑の影は、ちらちらと太陽の光線を僕に浴びせながら踊っていた。登坂で上がった心臓の鼓動が、大地に跳ね返り全身に響く。適度な風が、汗に濡れた体を冷やした。
(あぁ…美しい。
この時間が永遠に続けばいいのにと、自然に僕は思っていた。だけど、僕らには目的がある。
『北海道の地を踏みたい。』
Tが僕と同じく、息を切らして登ってきた。さあ、また北を目指そうじゃないか。
つづく
[…] 【6話】釜石~宮古 […]