ロードバイクに乗り始めた数年前、Twitterで見かけた衝撃的な投稿があった。
『東京大阪間の530㎞を24時間で走った』
100㎞がやっとの時分、そんな距離を1日で走れるものなのかと目を疑ったほどだ。自分もいつかそんな距離を走れる様になりたいと、ずっと心のどこかに憧れがあった。
それから数年、遂にその500㎞越えにチャレンジ。岩手県の盛岡から東京都の日本橋まで、536㎞の道のりに僕の全てをぶつけてみた。
<目次> 1.いざスタート! 2.寒さで疲労困憊 3.走りながら回復 4.後半戦ペースアップ 5.ゴール!!
*この記事は走行記録をまとめています。装備や補給などのデータはこちらの記事をご覧ください。
1.いざスタート!
今回のチャレンジは、『盛岡から東京までの536㎞を、24時間以内に走り切る』というもの。もちろん24時間というのは休憩や信号待ちなど全てを含んだ到達時間だ。
事前に引いておいたルートでは550㎞だったが、実走で536㎞なので恐らくどこかでルートが二重にひかれていた(RWGPSでは偶にそうなる)のだろう。
獲得標高は2,500m程度しかない平坦ルート。とにかく未知の1日500㎞オーバーの距離へ挑戦してみたかった。
渋滞回避やスケジュール等を考え、盛岡を00:00にスタートする計画。
前日は昼過ぎから寝ておいて、終電で盛岡まで輪行した。このパターンは今までのライドで何度もやっているが、緊張か、あるいは興奮からか、ぐっすりと眠れない出発前を過ごす。寝ようと決めていた新幹線の中も同様で、どうも目がさえてしまう。
これから24時間走り通すというのに大丈夫かと、変な焦りが余計に頭を冴えさせる。
そうしてあっという間に盛岡に着き、手早く準備を済ませてスタート地点へ。スタートは岩手公園前にした。
天気予報では最低気温が5℃の予報だったが、駅前は既に3℃台。今冬初の冷気に身体が引き締まる。
時刻は00:02。さあ、いよいよ限界ライドの始まりだ!!
2.寒さで疲労困憊
意気込んでスタートしたものの、盛岡エリアは信号が多く、タイミング的にそのすべてに引っかかった。「道路を横切る人も車も居ないのにどうして止まらなきゃいけないんだ」と焦りといら立ちが募る。もっといつも通り、冷静にならなければと自分をたしなめる。
無意味なストップ&ゴーを繰り返したのち、信号のないエリアへと抜けていった。ここからグロスペース(休憩や信号待ちも含む全体のペース)を上げていく。
信号峠ではインターバルがかかるので身体が暖まったが、一定ペースで巡行モードに入ると徐々に体温が落ち着く。時刻も深夜になり、気温の低さが身体に凍みてきた。
気付けば道路わきの表示は1℃。路肩の車のフロントガラスには霜が降りて白くなっていた。
今回はいつもと違って、ウェア構成もギリギリの想定で用意している。つまり、予報通りの5℃までしか耐えられない。数字にするとほんの数℃でしかないが、何時間も走り風に吹かれ続けるうち、この差がじわじわと効いてくるのだ。
堪らずペースを上げて身体を温めようとする。序盤から消耗したくはないが、身体が冷えてしまったらおしまいだ。
最初の補給ポイント・100㎞地点の下関のコンビニへは03:30に到着。おにぎりを買い込み全て暖めてもらい、カイロ代わりにポケットに詰め込んだ。ペースを上げているので貯金を作れているが、それ以上に身体は消耗しているので良くない。
今回の計画では休憩はゼロ。コンビニでは補給を買うのみで即・再スタートする。次の補給地点は200㎞の宮城県名取市のコンビニ。シューズカバーを持ってきていないので、脚の指が冷たくて痛い。少なくともそこまでは我慢が続きそうだ。
当日は天気の良い日だった。サイクリング日和ではあるが、朝方は放射冷却で更に冷える。まだ残り400㎞と思うと、途方もない気がするものだ。
寒い、苦しい、先が見えない……。それでも何故か、ふと見上げれば空に輝く星々と、赤く染まる東の空に心地よさを覚える自分がいる。あぁ、どうして辛いときの自然は美しいのだろう?
「状況はそう悪くない。事態は必ず好転する。お前なら出来る。」と、某サバイバルのプロの言葉を、自分に言い聞かせてひたすら回す。
3.走りながら回復
200㎞地点の補給ポイントに着いたのが07:45。ここまでで25分の貯金がある。
しかしこれは無理に回した結果であり、寒さとオーバーペースで全身が疲弊しきっていた。たったの200㎞でこんなに疲れているなんて……まるで300や400㎞を走った後の様だ。
実のところ、ここでDNF(Do Not Finish=リタイア)を考えた。今住んでいる仙台は近くだし、帰りの新幹線代もかからない。『こんなんであと350㎞走れるのか?』厳しい現実を突きつけられた。
それでも、あと100㎞なら走れる気がした。太陽が登って冷えた身体も温まるし、胃腸だってまだ平気。時間にも余裕があるんだから、ペースを落として回復走が出来るはず……。
ここからの100㎞で回復できなかったら終わりにしようと決め、気持ちを新たに300㎞地点を目指す。
幸運なことに、ここで待ちに待った追い風が吹き始めた。こちらは予報通りだ、風が吹いてくれるならいけるかもと、少し前向きになる。
白石~福島~二本松と、緩いアップダウンが続く。これも幸い、走りにリズムが生まれるし、回す距離が半分で済むからかなり休める。登りはダンシングで身体をほぐし、下りでストレッチ……。だんだんと、いつもの回復パターンに入ってきた。
そうして、いつもの体力レベル・疲労感に戻して300㎞の補給ポイントへ。
どうやら200~300㎞の間でRWGPSのルートミスが起きていたらしく、実際は290㎞だった。そのラッキーもあり、11:17に到着。結果的に殆ど貯金を消費することなく、距離と疲労感を一致させることが出来た。
「ふふふ、程よく苦しくなってきたな」と、訳の分からない思考でテンションが上がったりした。(笑)
いくつかの渋滞を通り過ぎると、青看板に「東京」の文字が表れた。176㎞という数字を見ると、かなり近くまで来たと思えてくる。いよいよゴールが見えてきた。
この辺りで一度、腹痛が収まらず10分ほどコンビニのトイレに籠ったが、それで治まってくれたのもラッキーだった。
4.後半戦ペースアップ
那須高原を越え、矢板で400㎞の補給ポイント。到着時刻は15:42。
400㎞を16時間切りというのは、僕の今までのロングライドでも最速のタイムだった。もちろんド平坦というのも大きいけど、それでも良いペースだ。
残りは8時間で140㎞程走ればよいのだから、よっぽどのことがない限り達成は出来るはず。どうせなら好タイムでゴールしてやろうと、ここから踏みなおす。
夕焼けの宇都宮が出迎えてくれた。苦しみで迎えた朝焼けとは対照的な、希望のある夕焼けだ。
宇都宮からはより交通量が多くなり、事故の危険も増す。こんなところで事故に遭いたくないので、安全走行を意識しつつ車の流れに乗って走る。
R4のバイパスは車が物凄いスピードで流れるので怖いが、側道が広いお陰でなんとかなった。大量に流れる車も、走行風で強烈な追い風を生み出してくれるので悪いことばかりではない。いや、それでも普段はこんな道絶対に走りたくはないが。。
この辺りは南に向かうと微妙に下りなのもあり、35㎞/h+αで踏んでいく。追い風と下りの合わせ技で、気持ちよくペースアップ。残りの距離的にも、もうセーブして走る必要はない。
埼玉県に入って少しすると、念願の500㎞地点が訪れた。グロスタイム19h42m。自分でも驚く20時間切りだ!!
思わずテンションが上がる。ゴールの日本橋まではあと35㎞くらい、24時間チャレンジの達成はまず確実だろう。
東京都が近づくにつれ道が混みあい、グロスAV. はみるみる落ちていく。その様は少し悲しいけれど、時間に余裕があるのでラストスパートを噛み締める思いで走った。
5.ゴール!!
自転車通行禁止の高架を3つ迂回し、上野、秋葉原とゴールへ近づく。
長い信号ばかりでじれったい。Twitterで頂いていた沢山の応援リプを見返して、道中の辛かった場面を思い出した。あの時の応援はとても嬉しかったなぁ。。
そして……遂にゴール!!!
*フォロワーさん撮影(↑)
日本橋にはTwitterを見て駆けつけてくれたフォロワーさん方がいて、それにも驚く。お出迎えなんて初めてでドギマギしてしまうが、こんな自分の為にわざわざ来ていただけるなんて、本当に嬉しいことだ。お土産まで頂いてしまい、こんなおもてなしを受けても良いのかと申し訳なさすらある。
盛岡から536㎞。タイムは21h37m。自分でも驚く好タイムで走り切った。
24時間切りの目標も無事に達成。自分の脚力やロングライドスキルが上がったのを実感できて、素直にとても嬉しい。いつの日か夢見たその距離は、僕の脚で走り切れる範囲になった。
次はやはり、東京大阪キャノンボールだろうか。更に難易度の高いチャレンジだけど、それをクリア出来たらまた違った景色がみられるのかも知れない。
最後になりますが、応援してくださった皆様、駆けつけてくださったフォロワーさん、本当にありがとうございました。
おわり
装備や補給など、データをまとめた記事はこちら(↓)
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