ブログ記事、特に商品紹介系の記事を書いていると、どのようなスタンスで書くか悩むことがしばしばある。同じ事実について嘘偽りなく書いても、書き方が異なれば結論や読み手に与える印象は大きく異なるからだ。そして、これは僕の書く文章だけに言えることではなく、世の中にあふれる全ての文章に共通することでもある。
これは当たり前のことではあるけど、僕はブログを書くことを通して実感するようになった。今回は、そんな話をつらつらと。
<目次> 1.「事実」と「真実」 2.書き手は何を見ている? 3.主張のない文章はつまらない 4.「書き方」を悩む
1.「事実」と「真実」
一見似ているようで全く異なる意味の言葉である、「事実」と「真実」。いや、もちろん実用上の意味として被るところもあるから一概には言えないけど、でもやっぱり確かに異なる。
『事実』は客観的に現実となった事象を指すのに対し、『真実』は主観的な「正しさ」という概念が干渉している。各々の一人称視点で見れば「事実=真実」や「事実⊂真実」ともいえるけど、三人称視点で見れば「事実≠真実」なのだ。
要するに「物事の客観性」の話だが、文章を書くときはこの客観性を維持するのが難しい。自分としては真に正しいことで、広まって欲しい・理解して欲しいと思っても、結果はその逆になることだってある。一人称視点の真実を一生懸命書いたところで、それが事実とは限らないのだ。読み手に再現性があるかも分からないし、そもそも別の真実を持っているかも知れない。
なんだか難しい話のような気がしてくるが、自転車界隈でよくある「インプレッション」とか「レビュー」とかも例外ではない。というか、この「事実より真実を書いたもの」の最たる例である気さえする。
インプレやレビューを読んでいて、「凄く良い製品のように感じるけど、他の製品との優劣が付けられない」とか「自分の使用環境に落とし込んだ時のイメージがわかない」という経験は、少なからずあるのではなかろうか?それらの多くは、具体的な数値やテスト環境といった客観的情報=事実の要素が少なく、明確さに欠けるから起こると思う。
事実をすっ飛ばして真実を語ると、細部が曖昧になる。複数の企業が絡み影響が大きいメディアはネガティブな事実をポジティブな真実で覆いたがるし、個人ブログは真実のみに頼りがちだ。インプレッションやレビューを読む際、こういう曖昧さを感じている方は多いのではないだろうか?
2.書き手は何を見ている?
事実より真実の要素を多く含む文章を読むとき、読み手の意識として「事実=書き手が見ているものの客観的な姿」を想像することが大切になる。
ここで一つの例をご紹介したい。僕が最初に買ったロードバイク、GiantのDefy3について簡単なインプレッション・レビューを二通り書いてみる。GiantのDefy3というのは、エンデュランス向けに開発されたエントリーグレード(実売10万円ほど)のアルミロードバイクだ。
Defy3はエンデュランス向けに開発されただけあり、振動吸収性に優れ乗り心地がよい。扁平したチューブのフレームがしなるお陰で、アルミフレームながらにかなりの快適性を実現している。この快適性はロングライドで大いに活躍することだろう。
ホイールベースが長く安定した走行感も特徴で、これは今流行りのパイクパッキングを用いたキャンプツーリングと相性が良い特徴だ。キャリア・泥除け用のダボ穴を各所に備えるので、積載が多くなったり、ハードなライドになっても安心。
最後に、ロードバイクとしての走行感も失われていないことを付け加えておきたい。エントリーモデルながらにフレームに高グレードアルミを用いているし、一般的なロードバイクの規格を採用しているため、カスタムの夢も広がる。例えば、ゆくゆくはホイールを変更して軽やかでスピード感のある走りも楽しめるだろう。
コストパフォーマンスに優れ多用途なDefy3は、初めてのロードバイクにピッタリな選択肢だ。
Defy3はエンデュランス向けのジオメトリ故、加速感やコーナリングのキレがレースを想定したバイクに劣り、特にスプリントの際にはフレームのねじり剛性の弱さが際立つ。もちろん、そのぶん快適性が増してはいるが、どうしてもアルミフレームの限界を感じざるを得ない。アルミフレームで快適さを求めた結果、キレも快適性もどっちつかずな味付けになってしまっている。
ロングライドに使ったとしても、キャリパーブレーキは制動力不足で悪天候時に危険だし、タイヤクリアランスが小さいのでタイヤを太くするにも限界がある。流行りの「グラベル遊びも兼用する」といったマルチパーパスな運用も難しい。外装ワイヤーが干渉するので、バイクパッキングとの相性もイマイチだ。ダボ穴を用いたキャリアスタイルなら活路があるかと思いきや、華奢なアルミフレームに過積載は禁物。先に述べたねじり剛性の弱さやブレーキの制動力の低さが影響し、使用に耐え得ない可能性すらある。
スペック上はコストパフォーマンスに優れるバイクであるものの、用途をもう一度考え直し、より走行シーンに合ったモデルを選んだ方がよいだろう。
いかがだろうか。パターン1とパターン2で、かなり印象の異なる文章だったと思う。
少し極端に書いてはみたけれど、どちらも同じDefy3というバイクに対してのインプレ・レビューだし、書き手である僕なりの「真実」を書いている。視点と想定シーンをちょっと変えるだけで、嘘をつくことなく、簡単に真逆の結論を導き出せるのだ。
ここでの事実は、
・エンデュランス系モデルで、乗り心地の良さを意識した設計
・スペック諸々(ダボ穴、ブレーキ、材質etc.)
・コストパフォーマンスに優れる
という点のみ。あとはこれらの事実をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかで、2つのパターンが作れる。特徴には全て良い面と悪い面があるし、良い面は他製品との比較や使用シーンの限定(例:~と比べて劣る、~をすると使い物にならない)で、悪い面は否定の否定や可能性を見出す形(例:~が全くダメかというと、そうではない。~も可能だろう)で、逆の印象に操作できる。結局のところ「ものは言いよう」だ。
こういった書き方は、意図的にも偶発的にもなされる。筆者が読者に対して特定の印象を与えたいとき(忖度が必要なメディアやアフィリエイトが目的のブログなど)には当然のこと、筆者が自分なりの真実だけを語っているとき(趣味の個人ブログやSNSなど)でも見られるものだ。
どちらにせよ、別に嘘をついている訳ではないから、それらが悪い訳でもない。仮に悪質で意図的な表現変更があったとしても、書き手の悪意を立証するのは現実的でもない。だからこそ、なるべく客観的な理解をしたいなら、書き手の語る「真実」から「事実」の部分を抜き取って読まなければならない。
3.主張のない文章はつまらない
ここまで『書き手が真実を書くのが厄介だ』みたいな論調で書いてきた。しかし、その「真実」という書き手の主張は、本当に全てが悪だろうか?
事実だけを並べた文章は、確かに客観性に長けている。その一方で、事実をどう解釈するか?という重要なポイントが欠けているから、話の展開が行方不明になったり、現実的でない解釈を読者にさせてしまったりする。極端な例だが、新発売のバイクの紹介がコンセプトとジオメトリや規格の羅列だけで終わったら、多くの人はどんなバイクなのか全然想像できないだろうし、重要な規格の変更などを見落としてしまうかも知れない。
僕のブログも含めて、ネット上の文章は「少数の専門家」よりも「多数の素人」を対象にして書かれている。事実そのものよりも、分かりやすい解釈(=主張・真実)の方が求められるともいえるだろう。(実際にGoogleの検索の順位付けなどは、ユーザーの大半を占める素人への分かりやすさを1つの基準としている)
そして何より、書き手の主張がない文章は面白くない。統計的なデータの羅列を見るのが面白いという方も一定数いらっしゃるだろうが、それはデータの解釈の仕方や分析の仕方を知っているからで、自分が全くの無知である分野のデータならどうだろうか?そもそも何のデータなのかすら分からない状態のとき、それを読み解く過程は楽しくとも、そのデータ自体に面白みを感じられるだろうか?
僕は元のデータを見るのも割と好きだが、解釈の方がもっと好きだ。たとえ自分と全く違う結論でも、論理的に導かれた答えはぜひ見てみたいし、自分の真実と照らし合わせてみたい。正しさなんて永久に暫定的なものだろうから、何通りあっても良いだろうし、新しい正しさを知るのも勉強だと思う。
そういうデータの解釈の仕方や主張の積み重ねが、その書き手の「色」になるんだと僕は思う。この人の文章は好きだとか、信頼できるとか、そういった感情はこの色があるから生まれるものだ。書き手の目線で突き詰めていくと、文章の「色」こそ、最も大切にするべきものかも知れないと思う。主人公が「一人称視点でどう感じ、どんな結論を導いたのか」という真実があるから、読むだけの価値・書くだけの価値があるんじゃないだろうか。
4.「書き方」を悩む
ようやく話がタイトルに戻って、「書き方って難しい」という話を。こうしてブログを書いていると、表現の仕方や結論の導き方を悩むことが多い。
先ほど書いたように、僕は書き手の色が大切だと思う。だからこそ、僕なりの主張は適当には出来ないのだ。ただでさえ文章はリアルタイムの会話より誤解を生みやすいのに、ブログは1対多数の一方通行だから尚更。「個人ブログなんだから、好きに真実を語ればいいじゃん」と言えなくもないけど、事実を無視した真実は独りよがりだし、書き手の僕が事実と真実を分けて整理しておくのは必要なことだろう。
また、既存の情報の繰り返しでしかない記事は存在価値を疑ってしまう。今や検索ボリュームの大きいワードは、大手メディアがこぞって無難で薄い内容のキュレーションを作成し、それらが上位を占めている。書き手の真実性も色もない。1位~10位までどれを見ても同じ内容が書いてあったりして、読み手の時間を無駄にする一方じゃないだろうか?僕はそんな状況の片棒を担ぐのは絶対に嫌だ。
また、装備レビューや○○まとめを書くのは難しい。実際のところ、1つの道具を使っていくなかで「これ最高!神!!」みたいに思っている時と、「このク〇がぁぁあ!」みたいに心の中で叫んでいる時があったりする。(笑)
そんな道具をレビューするとなると、どうまとめるか悩む。思ったことをそのまま羅列すると主張がごちゃ混ぜになって意味不明だし、頭の中に浮かぶいろんな結論から1つに絞らなきゃいけない。イメージとしては、先に挙げたDefy3のレビューのパターン1とパターン2を、1つの記事と結論にまとめていく感じだ。
雑な情報はノイズになるから無い方がマシだと僕は思っていて、書き手には一定の責任があると考える(読み手にも、一定の理解力が求められるとも思うけど)。だからこそ、事実と真実の違いを意識せざるを得ないし、読むときもついそういう部分に注目してしまうようになった。注意深くなったというか、ひねくれたというか。
なんだか愚痴のような最後になってしまって申し訳ないが、ブログを続ける中で発見したことでもあり、ずっとぼんやりとしたイメージのままになっていた話題だったので、文章に起こして1つの記事にまとめてみた。
だから何という話でもないけれど…この色を面白いと思っていただけたなら幸いと思う。最後まで読んでくださった皆様、いつも応援してくださる方々、本当にありがとうございます。
おわり