コラム

新型コロナウイルス(COVID-19)とサイクリング自粛問題について、僕が思うこと。

世界中に深刻な被害を与えている新型コロナウイルス(COVID-19)。影響を受けているのは、僕の趣味であるサイクリングも例外ではない。

毎日ニュースやSNSを介して様々な情報や意見が飛び交っている中で、『サイクリング趣味とどう向き合うか?』と言うのは、いち自転車好きとして重要な課題だ。

この記事では、僕が一人の自転車好きとして考える「サイクリング趣味との関り方」や「周囲の情報を見て思う事」などを書いていきたい。

<目次>
1.はじめに
2.ライド自粛の意味
ー『走ること自体』は低リスク
ー無視できない『固有のリスク』
3.飛び交う批判について
ー『自粛要請』は過干渉か?
ーいろんな可能性を考えよう
4.長い目で見ると…?
ー『未来のサイクリング』を見据えて
5.僕の現状の立場

1.はじめに

おことわり

まず断っておきたいのは、僕は単なる自転車好きに過ぎないという事。この記事の内容もいち個人としての考えだし、記事執筆時点(2020年4月9日)現在の情報に基づいて書いている。

そして僕の普段のライドスタイルについても少し。僕はもっぱらソロ・ロングライド(例えば、北海道一周TT冬季北海道ライドで、宿には泊まらず観光地にも行かず、コンビニ以外で食事することも稀だ。ひょっとすると普段の僕の走り方とは異なる、例えばグループライドがメインの方々などの状況は、申し訳ないが理解がズレている箇所があるかも知れない。

この文章はただの1人の若者が、一般的に得られる情報に基づいて考えたあれこれでしかない事を、忘れずに読んで頂けたらと思う。

 

前提として

続いては、前提として新型コロナウイルス対策に対する僕の認識を。僕は基本的には、日本の指針厚労省サイトクラスター対策班の報告)や、WHOの報告関連を元にしているこれらの機関・情報にも突っ込みどころがあるだろうが、基本的にはある程度は確からしいデータとして考えている。また、SNS上の情報は参考程度に意識していて、メインはTwitter、続いてFacebook、最後にInstagram。

この前提が全く異なる方には、この先の内容がてんで可笑しな話になっているかも知れないが悪しからず。。

 

2.ライド自粛の意味

さて、さっそく本題に入ろう。まずは「ライドを自粛するべきか?」という問題について、いろいろな視点で考えていきたい。

恐らく、サイクリングに対する議論の的は「ライドを(どのように)自粛・制限するか?」だと思う。*この記事で僕がいう「サイクリング」や「ライド」とは、自転車にある程度のめり込んだ人にとっての「サイクリング」や「ライド」だ。つまり距離が100㎞を越えるのは特別なことでなく、県をまたいだり観光をしたり仲間と競ったり…という様なもの。例えばクロスバイクで近所を10㎞流す、みたいなのは含んでいない。

で、そのライドを自粛するか云々について、立場は大きく分けて

⑴全て止めるべき

⑵条件付きで可能

⑶普段通り走ってもいい

の3択だと思う。主にSNSを見る限り、現状は多くの方が⑴か⑵の立場だろうか。⑵の条件付きで可能、という中の「条件」には様々あって、ライドの距離や時間、通過する地区や目的地、接触人数…etc.と観点も様々だ。とはいえ今回の問題について先駆けで発信したメディアも基本的に⑵の立場で、「なるべくソロで、接触を避けて、安全かつ無理のない走りをしよう」という様な感じだった。

では、そういった「自粛」や「条件」には、それぞれどの程度の意味があるのだろうか?

 

『走ること自体』は低リスク

新型コロナウイルス対策として、今や定着した「三蜜(=密閉・密集・密接)を避ける」こと。政府や専門家もこの三蜜を避けることを声高に叫んでおり、効果的な対策として考えてよいだろう。ことサイクリングに関しては、「走ること自体」は三蜜とは程遠い活動だし、「軽い運動として自転車に乗る行為」は国際的にも制限されるどころか、むしろ健康増進として推奨される傾向にある。

しかし、現実的な僕らのサイクリングを考えると「走ること自体」は良くても、それ以外の「走っていないときの行動」は必ずしも推奨される行為ではない。例えば、グループライドで街中のカフェに立ち寄るとか、他県の宿泊施設やコンビニを利用する等、自分が感染したりクラスターに関わったりするリスクだけでなく、未感染の地域に無自覚に感染を拡大してしまうリスクも付きまとう。特に未感染地域に感染を拡大してしまうのは、医療体制の整っていない高齢化した地域に甚大な被害をもたらす可能性が高く、無視できないリスクだと思う。

そこで、『”走ってないときの行動”のリスクを避けてサイクリングをしよう』と言うのが、先に紹介した⑵条件付きで可能、という立場だ。この立場は、リスクの避け方に程度の差はあれど、基本的に現実的かつ合理的で、最も多くのサイクリストの賛同を得られそうな「落としどころ」的な立場だと思う。僕もこの考え方に賛成だ。

その”走っていないときのリスク回避”を徹底した例として『完全なソロライドで、人気のないルートを走り、観光地は疎か飲食店やトイレにも一切寄らず、事故や疲労による免疫低下のリスクにも最大限配慮する』という形がある。確かにこれなら、新型コロナウイルス対策として十分とも考えられるだろう。

先に挙げた立場の⑶普段通り走ってもいい、という人も、背景を読み解いていくと普段の走り方が⑵の様な走り方の場合が多く見られる。現に僕自身の普段の走り方は⑵に近いし、三蜜を避ける理論からは「なんだ特別意識する必要もないじゃん」という認識も理解できる。

 

…しかし、この”リスクに最大限配慮した形”にも批判は付きまとう。そこが新型コロナウイルス対策の難しいところだ。

 

無視できない『固有のリスク』

サイクリングにおける新型コロナウイルス対策で最も厄介なのは、サイクリングそのものが持つ「固有のリスク」があることだ。その「固有のリスク」とは、交通事故等のサイクリングをする上でゼロには出来ないリスクだ。屋外ライドをする以上、これらのリスクは絶対に付きまとう。

この「固有のリスク」により、例えば何らかのトラブルにより他者と接触を持つリスクや、事故による怪我で医療リソースを圧迫するリスク等がある。

「そんなのサイクリングに限った話じゃないし、確率論的に低リスクなんだから気にするのはナンセンスだ」という意見もある。僕もある程度その意見に賛同するけれど、カナダではこんな例もあるらしい。

一部を抜粋し要約すると「国立公園にハイカーが集中→転倒事故により救助要請→実は救助された人が新型コロナ陽性だった→救助部隊が隔離措置になり安全確保が不能に→国立公園全閉鎖=事実上の登山・ハイキング禁止」という感じ。

*僕が英語検索した限りでは「陽性のハイカーがいた」という記事はみつけられなかったけど(センシティブな内容だし、表沙汰になっていない可能性も高い)、「国立公園に人が集まりすぎて逆に感染リスクが高まってしまった」「外部から人が集まることに対する地域住民の懸念の声があった」「救助隊からも、より低リスクなアクティビティをするべきという意見がある」というのは複数サイトで発表されている。

もし日本で、サイクリングに関連して類似の事態が起こったら…?と考えると、これも1人のサイクリストとして無視できないリスクだと思う。たとえ実際には新型コロナウイルス対策を最大限していたとしても、マスメディアの煽りたがり傾向や世論に蔓延する漠然とした不安を考慮すれば、サイクリングそのものに対する社会的なイメージが悪化することは想像に難くない。

また、サイクリングを支えてくれている観光産業や地方住民の方々の印象も考えるべきだむやみにサイクリングが感染リスクの低い趣味であることをアピールし、医療体制の乏しい地域に人を集めるようなことになれば、サイクリストに対してポジティブなイメージは持たれないだろう。

もちろん「観光産業にお金を落として支援する」という様な、ポジティブな影響をもたらすことも出来る。目下の資金繰りが限界な方にとっては、感染リスクなんか度外視してもサイクリストの流入は個人的に歓迎かも知れない。しかし、全体的にはポジティブな面とネガティブな面の両面を内包すること、受け取り方は人それぞれであることを考慮すれば、サイクリスト側が安易に受け取られ方を決めつける行為は賢明でない。

 

3.飛び交う批判について

SNSを見ていると、サイクリスト同士でも新型コロナウイルスに関連して様々な批判が飛び交っている。

「この時期にグループライドはどうなの?」「ライドをSNSにアップするのは違うんじゃない?」「そもそもサイクリングなんて有り得ない」「個人の判断なんだから自粛云々の口出しするな」…等々。

僕は、基本的には『各々の決断・行動は自由だし、他人がとやかく口出しするのは違うよね』と思う。だけど、この新型コロナウイス問題に関しては、多少の批判が出てしまうのは仕方ないのでは…なんて思ったり。それは、この新型コロナウイルスの影響力があまりに大きいからだ。

 

『自粛要請』は過干渉か?

SNS上では、屋外趣味の全自粛を掲げる人らによる無差別なサイクリング批判がある。僕は基本的にはこの意見に否定的で、個別具体的な条件を無視し『一方的に「自粛」を押し付ける』という意味不明な日本語を貫くのに違和感がある。しかし、だからと言って批判を全て無視していいかと言えば、そうでもないとも思うのだ。

例えば、⑴全て止めるべき、という考えの人から見れば、走る他者を批判するのは合理的といえるとも思う。それは、ライド固有のリスクを重く受け止め全てを自粛する判断をしている人にとっては、自分一人が自粛するよりもサイクリスト全体で自粛した方が明らかに意味があるからだ。仮にも、先に挙げたような「サイクリスト全体の立場」に関する問題になれば誰もが大きな影響を受けるし、個人的な生活環境により新型コロナウイルスの蔓延で経済的な影響を大きく受ける場合は、それこそ死活問題。新型コロナウイルスのややこしいところは、「自分が感染しなくとも、国民全員が社会的・経済的に少なからず影響を受ける」という点にある。

『全て自己判断なんだから自粛を強制するな』という理論は正しい。が、その一方で、お互いの干渉を避けられない構造上『自粛しない側(=短期的にリスクを増大させる側)が自粛する側にリスクを賦課するという、一方的な利害関係になっている』ともいえる。「自分が我慢してるんだからお前も我慢しろ」みたいな幼稚な感情論は取るに足らないが、ライドそのものに対する批判にも一定の合理性はあるのだ。

 

いろんな可能性を考えよう

ただ一つ。特にSNSを見ていて思うのは『自分の文脈でしか情報を捉えられない人が多い』ということ。軽率な批判や攻撃が多くみられて、正直酷いもんだと思う。

本来、批判なんてそう簡単に出来るもんじゃない。個々の置かれる環境や心情、判断に至った流れをくみとって背景を多面的に理解しないと批判の前提が成立しない。それでも他人の思考なんて分からないから的外れにもなるし、他人の判断に干渉するのは安易に出来ることじゃない。

普通に考えて、世の中は「自分が見ているもの」より「自分に見えていないもの」の方が圧倒的に多いんだから、自分基準で他人の行動を評価するのは愚かな行為だ。

そして、例えば一般的にリスクが高いと思われるライドの様子をSNSにアップする人も、それを見て何かしらの誤解・批判があり得るという可能性を考えるべきだと思う。「個人の発言なんだから好きにしていい」というのは確かに正しいんだけど、それは他人への影響をある程度配慮したうえで認められる権利じゃないだろうか。これだけ影響力のある話題なんだから、一方的に権利を主張するんじゃなくもう少し周りの事を考えられないだろうか?

 

僕は議論すること自体は良いことだと思っているし、合理的な批判は価値ある行為だと思う。むしろ、誰しも正解を求める今だからこそ、自由で建設的な議論が必要とされているはずだ。徹底的に考え抜き決断したうえで、対抗する意見に真摯に向き合うのが、理想的な形だと僕は思う。

ただ、昨今はセンシティブな内容ばかりで「SNS疲れ」みたいな話も出ている。確かに考え抜くのは疲れるしストレスもたまる行為だ。幸いなことに、SNSには便利なミュートやブロック機能があるし、フォローする/しないも完全に自由なんだから、自分が収集する情報は適度に制限するのもきっと大切な行動だろう。

発言・理解・収集…全てにおいて、今リテラシーが求められる局面なのは間違いない。

 

4.長い目で見ると…?

ここまでは、現在直面するサイクリングと新型コロナウイルス対策について書いてきた。ここからはちょっと視点を変えて『今後も含めてどうするか?』という話。現実的に考えて、治療法や予防薬が確立されるか、人類が免疫的に対処できるようになるか…?何か根本的な変化が起きない限り「感染リスクに対処し続けなくてはならない」という状況は変わらない。

緊急事態宣言が発令された現在を基準に考えれば、目下の感染リスクをなるべく抑えることが最優先事項なのは自明だと思う。しかし、数か月後、あるいは数年後に目線を向ければ、持続可能な形でサイクリングを確立しなくてはならない。このままでは経済的に困窮してしまう人が多発するのが明らかな以上、自粛一辺倒な対応はあり得ない。

では、長期的な視点で見たときに、社会はどう変化するだろうか?これは想像の域を出ない議論だし、難しい問題でもある。以下ははあくまで素人の僕個人の見立てなので、さらっと流し読みして頂ければ幸いだ。

 

『未来のサイクリング』を見据えて

新型コロナウイルスそのものに対する情報が不十分な今は、リスクに関しても曖昧な情報ばかりに思う。経済的保障もまだ確立されていないから、趣味に関してのあれこれを語っていられない状況にすらある。しかし、将来的には趣味別のリスク高低も明らかになり、一定の優先順位や禁止事項が社会的に付されていくはずだと思う。例えば「ジムに通うよりはサイクリングの方がいいよね」とか「感染拡大が落ち着いた今は、医療のキャパシティ的にサイクリングが負荷をかけることはないよね」「県をまたぐ移動はこのくらい注意すればいいよね」とか…。

きっと時間とともに、許容される屋外活動の範囲や「サイクリングの立ち位置」も明らかになってくるはずだ。

目下の最悪なシナリオ=社会制度の壊滅を回避できれば、間違いなく経済的な問題が密接に絡んでくる。いつまでも観光地や産業が自粛ムードで閉鎖し続けられるわけがない。その時のサイクリストの立ち位置が歓迎されるものになっていたらいいよね?なんて僕は思う。

そういう意味では、その「サイクリストが歓迎される時」まで耐えて待つ、というのも大事な視点かも知れない

逆に、仮にも「サイクリストが感染拡大の媒介となっている」という世論が形成されると、今後のライドに悪影響を及ぼしてしまうだろうそうなったら最悪で、本来的には「三蜜」からほど遠く健康にも良いはずのサイクリングが、怪訝な視線を浴びる羽目になる。

そんなリスクを考慮すると、拡散される可能性の高いSNSにライドの様子を安易にアップするのは危険ともいえる。それは「サイクリストが新型コロナウイルスを媒介していない」という証明は、悪魔の証明に近いからだ。「自分が訪れた地域で感染が起こっていない」という「あることがない」をもってなら潔白を証明できるものの、「自分が訪れた地域で感染が起こった」時には「絶対に自分が媒介していない」というのを合理的に証明するのは非常に困難だ。運よく感染者のクラスターが特定されればいいけれど、「感染経路不明」なんて言われた際には、自分でない証明をする手段は現状ない。

世論的に良くないのはもちろん、自分が悪影響を及ぼしたかも知れないという自分に対する疑念は、絶対に良くない。

 

5.僕の現状の立場

長らく僕なりの考えを書いてきたけれど、最後に僕の現状の立場をまとめておきたい。

まず第一に、全サイクリストは自分が信じる行動をとればそれでいいと思う。そのライドを迷うくらいなら止めればいいし、広い視野を持ってなお「大丈夫」と胸を張って言えるなら走ればいい。自分の行為によって、最悪の事態(=例えば、自分の大切な人が感染し被害を受ける)があっても、その時の自分の判断に悔いはないと言えるなら走ればいいし、そうでないなら走らなければいい。僕は胸を張って出来る屋外ライドは今後もするし、そうでないライドはしない。

第二に、建設的な議論は続けるべきだと思う。日々情報が更新され、社会状況が変化する現在において、盲目的に一つの結論に縛られるのはよくない。安易な批判や攻撃は避けるべきだが、科学的・統計的にサイクリングを検証し、対峙する意見に堂々と向き合うのは新型コロナウイルスが蔓延する未来のサイクリングを形成する一歩になるはずだ。

最後に、自分なりの「心身の健康」を保つのが先決だと思う。置かれる環境は千差万別、他人にどう言われようと、自分や大切な人の健康を守れるのは紛れもなく自分自身だ。構造上、批判をゼロにできない今だからこそ、自分が冷静で合理的な判断が出来る環境を整えるのが大切だ。見るべきと思うものは見て、取るに足らないものは無視する。そういう判断と行動が求められていると思う。

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以上、僕なりの「新型コロナウイルスとサイクリングへの向き合いかた」を書いてみました。最後まで読んでくださった方、拙い僕の意見を受け止めてくださってありがとうございます。

個人情報保護の都合でコメント機能をオフにしていますが、肯定/否定問わずご感想は嬉しいので各種SNSで拡散orご意見いただければと思います(僕のTwitterFacebookInstagram。この記事が、皆様のこれからのサイクリングライフを豊かにする一助になれば幸いです。

おわり

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