ツーリング記

【5話】友達『チャリで北海道まで行ったら面白そうじゃねw』からロードバイクを買い旅に出た話⑤松島~気仙沼~釜石

旅を始めて6日目。

ここ松島からは、ひたすら海岸線を走る。当時は2015年、東日本大震災から4年が経った夏だ。4年という長いようで短い歳月を経てもなお、津波の爪痕はしっかりと残っていた。

まずは石巻、そして南三陸、気仙沼、大船渡、釜石、宮古。どれも震災当時、毎日ニュースに上がっていた場所だ。1日にして2万人近い犠牲者を出した日は、戦後じゃ2011.03.11くらいじゃないだろうか。

 

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朝の出発時は曇天。早朝の人気のない観光地松島を一通り堪能し、先を急ぐ。

予報通り次第に天候は回復していって、夏の空の濃い青と真っ白な入道雲が、夏を物語っていた。

(これぞ、夏だ。

四季が美しい日本に生まれて僕は幸せ者だと、しみじみと思う。しかしそれでも、大きな代償を払っている。

風も殆どないサイクリング日和。廃墟と化した骨組みだけのビルを横目に、快調に旧市街地を走っていった。頑丈な建物をここまで破壊する威力。やはり人間は自然に勝つことは出来ないと感じさせる。

いや、勝つとか負けるとか、そういう対立軸で考えることがそもそも違うのだ。自然に意思はなく起こる現象に意味もない。ただただ複雑で科学的なシステムと確率論のもとに地球が動いていて、その一部で人が生まれたり死んだりするだけ。別に争っている訳ではない。

しかもその影響が人間社会に良いか悪いかなんて、どの時点の誰が判断するのかによって変わっていく。数世紀前の犠牲のもとに、僕らが住み、あるいは今走っているいる土地が作られた。その時の災害はいいことか、悪いことか?人が裁けるのは人の行いだけだ。

 

…とは言うものの、僕は悲しみを抱えて風を切っていた。

地元が仙台なだけあって、僕は幼いころから海で遊んでいる。海水浴に始まり、砂浜を駆け回ったり釣りに明け暮れたり。その思い出の詰まった街が、ひたすらに続く更地と、真新しい真っ白なコンクリートで出来た防潮堤だけになっている。街が跡形もなく消え去っている様は、4年の月日が経った後でも異様で受け入れがたいものだった。

所詮1人の人間のスケールなんてそんなもんで、そのちっぽけなスケールが感情で満たされる。そう考えると、すぐに感情で満たされるのは、ちっぽけな人間の特権かもしれないなとも思った。

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三陸に入ってからは、とにかくアップダウンが続く。

リアス式海岸で有名なこのあたりの地形には、所謂平坦という区間がない。300m登って、300m下るの繰り返し。重たい自転車と斜度に、脚が一気に削られた。

…当時の僕にはペース配分をするとか、脚を残すという概念がなかったから、余計に苦しんだのかも知れない。しかしもっとキツそうにしていたのは、相方のTだった。

(どうした?なんでこんなに遅いんだ?

「もうちょいだぞーファイトー!」

T「おーう」

(ああ、さっさと街まで行って休憩したい…

平坦では大差ない速度の僕らだったが、登りでは明らかにスピードに差があった。その時はなぜそうなのか分からなかったけど、今思えば機材に差がありすぎたのだ。

僕のバイクは所謂エントリーロード。レース機材には遠いけど、コンポはSORAでインナーローは34×32t。

一方Tのバイクは所謂ルック車で、そもそもの車重が重いうえインナーローが46×25t。どこの豪脚仕様だよって…。そのくせクランクはママチャリの容貌で、踏むとぐにゃぐにゃしなるときた。どう考えても仕様がおかしいし、そのバイクに20㎏近い荷物を載せて峠を登るなんて、地獄以外の何でもない。

きっと今なら、Tにもっと配慮した走りが出来ただろう。だが僕は、いつまでたっても早く走りたい一心だった。バイクによってギヤ比がこんなにも違うなんて思いもしなかったし、クランクがしなるなんて想像もつかない事だったのだ。

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何度も峠で休憩しながら、気仙沼市に到着。辺りは既に街灯がつき始めていた。

 

朝から走ったのに、たかだか100kmほどしか進んでいない。それほど三陸のアップダウンはきつかった。

寝床を探していたら、大型の温泉施設を発見した。どうやら24時間空いている休憩所もあるようだ。よし、温泉でリフレッシュして、ここで寝よう。今日もよく頑張ったさ…。

疲れた後の温泉に気持ちよさは、何か格別なものがあった。露天風呂で夜空を眺めながら、僕らはただひたすらにぼーっとした。

T「俺の家族ってさ…」

おもむろにTが話し出す。そんな夜もあるさ。僕もつらつらと、自分の想いを言葉にしていった。一人で旅していたら、この時間は生まれないんだろうな。

 

何時間風呂に居たのだろうか。火照った体に夜風が心地よく、今日は安眠できると思った。

しかし残念なことに、施設の休憩所は夜間は別料金ときた。テントの購入額とそう変わらない金額に僕らは躊躇し、結局近くのバス停で寝ることに。そのバス停の辺りには、更地に不釣り合いな綺麗なアスファルトが敷かれていた。建物は何もないから、誰も通らないし明かりもない。

僕らはそのバス停の隅で、静かに眠りについた。

 

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辺りが明るくなり、目を覚ます。7日目が始まった。

長いようであっという間だった1週間。ここまでくると、旅というものにすっかり慣れてきて、撤収作業は手際よく進んだ。

 

さて今日も北を目指し走り出そうかというところで、Tが面白いものを見つけた。背の高い葦のような棒状の枝に、フランクフルトのようなものが付いている。ガマだ。

T「なにこれ面白れぇ!」

「うわ、初めて見たこれ。でけえなw」

おもむろにその枝を折り取り、フランクフルトを集めだした。別に何か目的があった訳ではない。ただ何となく、珍しかったガマを集めた。

集めただけではつまらなくなったので、今度は投げて、転がして、遊んでみた。何が面白いのか良く分からないが、その時は面白いと思って遊んでいたのだった。あれ?僕ら歳はいくつだっけ?(笑)

T「お、これ結構投げんの難しいじゃん?w」

「これ何気に綺麗に転がるねww」

 

早朝のバス停近くの路上。

そこには、ガマを投げて遊んでいる男子学生2人の姿があった。というか僕らだった。近くを通った女子高生は、あからさまにドン引きしながら歩いて行くのだった。

「俺ら超ドン引きされてんじゃんww」

T「まあ不審者だよねww」

旅をしていると、周りの目が気にならなくなってくるらしい。彼女にどう思われようが、僕らにはどうでもいいことだった。むしろその事実が余計に面白かった。

 

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今日も今日とて坂の連続だ。

もはや坂には慣れてきて何とも思わなくなりつつあったが、昨日の疲れが抜けていない脚には当然キツイ。踏んでも全然進まない。天気予報は雨で、もうすでに空は灰色一色。空気も湿っている。福島で買ったカッパは持っているが、出来れば雨の中は走りたくないものだ。

峠を越えると陸前高田市。

覚えている方も多いはず、あの『奇跡の一本松』がある場所だ。せっかくなので立ち寄り、ぽつんと佇む松と、その後ろの灰色の海を眺める。

別にここが特別という訳ではない。もっとたくさんの場所で、なんならここまで走ってきた場所でも、多くの被害があった。この松を見たからって、急に追悼モードになるのは僕は嫌だった。だが、こうやって象徴を残すことには意味がある。あの原爆ドームと同じ原理だ。

 

陸前高田には、奇跡の一本松よりももっと印象的なものがあった。

それはあまりに異様で、得体の知れないものだった。頭上高くにある、大きなトンネルのようなもの。それはとても長く続いていて、途中で分岐したり、合流したりしていた。時折ガタンガタンという音も発している。

(道路じゃないよな?これは何だ??

その場で調べて判明したのが、これが復興用土砂運搬設備『希望の架け橋』ということ。名前は聞いたことがあった。この異様で巨大な建造物がそれだったのか。

「なんかこれ、”希望の”っていう語感に雰囲気が全然マッチしてないよな」

T「うん、ネーミングミスってる」

 

出発する前に、仮設コンテナで営まれているカフェに入った。お腹が空いていたわけじゃないけど、なんとなく、ここに店があるのが不思議だった。

店の方に何か話をしたわけじゃなかったけど、見た目から旅人感があふれていたのだろうか。さりげなくキュウリの差し入れを貰った。こうして優しくして頂けるのは、旅人の特権だ。

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また峠を越えると、大船渡に入る。

いよいよ風が吹いてきて、雨模様に変わってきた。じとっとかいた汗は乾かず、体中がべたついている。だけどまだ、30kmも走ってない。

ポツポツと落ちてくる雨粒がだんだんと大きくなってきて、慌てて道端でカッパを着こむ。ああ、坂に加えて雨ときたか。ここからは街の間隔も長くなってくる。辛さ倍増だ。

次の街であり目的地の釜石までは、約30kmで峠が5つ。どれも斜度10%以上の区間がある。辛さを紛らわすように補給食に手を出していたら、あっという間に水も食べ物も無くなった。

(ああ、くそ…。このままじゃ腹も減ってくるし、早く釜石まで走らなきゃ

エネルギー的に足りていても、空腹というのは精神的に辛い。疲労、坂、雨、空腹。度重なる悪条件に、心はとっくに折れていた。しかし、ここで止まっていても何もいいことがない。助かるには市街地に到達するしかないのだ。だから、走る。

(ん?なんだ、これ?

ふと腕をみると、まくった袖口がたぷんたぷんいっている。染みた雨か自分の汗か、おそらくその両方が、行き場を失ってカッパの中にたまっているのだった。もはやカッパの中で水泳してる状態。ああ、最悪だ。

それでも、これを脱ぐわけにはいかない。脱いだら寒すぎて走れなくなる。ただひたすらに、この状況を耐え抜くしかないのだ。

 

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最後の峠を越えた時、嬉しすぎて叫んでいた。やっとお待ちかねの釜石市。

補給食の調達と夕食を兼ねて、釜石のイオンへ。屋根があって雨に当たらないというのはそれだけで幸せなんだと、この年になって初めて実感した。しかし幸せだったのもつかの間、店内が冷房をガンガンきかせていて、ずぶ濡れの僕らの体温を容赦なく奪っていった。安息の地はここにも無いらしい。

近くに店もないので仕方なく、ガタガタ震えながら飯を食べる。例によって店内に迷い込んできたハエが妙に僕らに寄って来る気もするが、そんなことはどうでもよかった。早くテントを立てて寝よう。

その日は雨除けに高架下にテントを張らせていただいた。

当然テントも濡れているが、オルトリーブのパニアバックに入れてあるシュラフは無事だ。高かったけど、こいつを買っておいて本当に良かった。出発前の自分に感謝しながら、街の隅で眠りについた。

つづく

第6話はこちら)(第4話はこちら

 

 

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